大阪日本料理名店ガイド
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明治初期、日本の政治の行くえを決める重要な会議、世に いう【大阪会議】が、この大阪の北浜にある『花外楼』で開催されました。
当時『花外楼』は、天保年間、加賀の国から大阪北浜の現在地に割烹料理を開いた創業者の徳光村の伊助の出身地にちなんで店の名前を『加賀伊』と称しておりました。
【大阪会議】とは、明治4年(1871)7月に行われた廃藩置県により、武士達が職を失うなど、当時は画期的な政策だったがその実、不平が高まり政情不安が増すばかりでした。一方、政権内の内情も惨憺たる物で、どうにか政局を持ちこたえていたの が大久保政権だったが独裁者として権威を欲しいままにしていた大久保利通も相次ぐ下野に孤立無援、悪戦苦闘の連続で、精も根も尽き果て、元のような強固な政治体制に戻すべく、木戸孝光と板垣退助の復帰を望みました。
会談をもつあっせん役を見かねた長州出身の伊藤博文(のち初代首相)と井上馨(のち外相)が買って出てくれ、その時伊藤より、両氏に送った手紙が現在『花外楼』で保存されております。この【大阪会議】は、大久保、板垣、木戸という日本を代表する政治家が大阪に集まり、日本の将来の進路について意見の交換をしそして決定されたことが次々と実行されたので政治史上、重大な改革をもたらしたことから、歴史的行事の意義は極めて大きかったと言えます。
この会議の成功を祝って木戸孝允より送られた屋号が『花外楼』であり、以来、政界、官界の大立物が続々と出入りなさいました。
伊藤博文が大阪会議の円満な開催を願って書いた手紙

井上馨から送られた屋号
「香涯楼」


伊藤博文から送られた屋号
「花魁」




天保から明治維新、大正、昭和、平成と大阪北浜で170年親しみ続けられている『花外楼』を現在の近代感覚を取り入れた、新様式のビルに衣 替えしたのは、京阪電車が開通し、淀屋橋駅のできた昭和39年。一階から三階までは伝統ある日本料理をゆったりと落ち着いてご堪能いただける空間を。またそのころ日本は高度成長期の真っ只中。そんな中でサラリーマンやOLに気軽に食事をしていただきたいと願い、地下一階に西洋料理店『レストラン花外楼』を開店。またパン・菓子・食品部門と、多様化する食生活の要望に応えるべく昭和40年に今橋の会員制倶楽部『大阪倶楽部』の食堂、昭和58年には『花外楼』の西隣に現在の『アイルモレ・コタ』の前身である洋風懐石料理の店『アイルモレ』を展開。さらには桜ノ宮のOAPに『アイルモレ・デサ』、北浜、アベノ近鉄『花外楼』も開店。西洋料理部門を展開するも、初代「伊助」の“誠実”の志を大切に、暖簾を守りながら美しい日本料理の心を探求し続ける。
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